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Writer's pictureYuki Hayakawa

紅茶のお話し


英国への茶の伝来

 「茶」は紀元前2700年に中国で生まれたとされています。

 長い間、東洋の神秘的な飲み物であった「茶」がヨーロッパに伝わったのは、ようやく17世紀に入ってのことです。

 英国では1657年、ロンドン市内で初めて茶が売り出されました。この頃は王侯貴族のみが高貴薬として服用したくらいでした。

 英国が茶を嗜む国となったのは、ポルトガルの皇女キャサリンが、「陽気な国王」 チャールズII世に嫁いで王妃になった1662年のことです。彼女がポルトガルの王室からイギリスの王室に嫁いだ際、イギリスにお茶を飲む習慣が生まれたといいます。ポルトガルでは既に中国茶が飲まれており、中国磁器の茶道具や茶を飲む「習慣」を宮廷にもたらしました。キャサリン王妃は茶葉と共に、ブラジルで収穫した砂糖を、イギリスに贈り物として持ってきました。後にイギリスで紅茶が飲まれるきっかけとなる出来事です。

アフタヌーン ティー

 次代のメアリーII世(1688-94)やアン女王(1702-14)が茶を好む女王だったため、英国に茶が受け入れられるベースができました。

 18世紀中頃、英国の貴婦人の間で、朝のお茶会(ティー・パーティ)が催されるようになりました。

 アン王女の紅茶好きは、洋梨型の銀の茶道具を特別に創らせた他、ウインザー城の応接間にティーテーブル付きの「茶室」まで作ってしまうほどでした。また、アン王女が即位した1720年頃から後に「淹茶法」の技術が確立し、普及し、定着したといわれています。この時の「淹茶法」は、急須の中で茶のエキスを抽出しする方法だったようです。ちなみにフォートナム&メイソンの紅茶「クイーン・アン」とは、彼女のこと。

 1823年、植民地のインド・アッサム地方で茶樹が発見され、1839年にはロンドンのオークションにアッサムの紅茶が出品されています。そして1840年、イギリスの紅茶は中国とのアヘン戦争をきっかけに、かつての中国産のお茶より、インド・スリランカ地方の茶園から栽培されたものへと移り変わって行きました。

 本格的な午後のお茶会(アフタヌーン・ティー)は1840年代、第7代ベドフォード公爵夫人アンナ・マリアが始めたとされます。アンナ・マリアは、1日に2度の食事(朝食とディナー)では夜までお腹がもたないと考え、4時頃に自分の居間でバター付きパンとお茶を飲むことで、空腹を解決したのです。すぐに空腹を抱えていた友人たちもお茶の席に加わり、アフタヌーン・ティーは居間から客間へ舞台を移して、客を招いた華やかなティー・パーティに変容を遂げました。

 19世紀、ヴィクトリア女王は、このアフタヌーン・ティを公式な「もてなしの儀式」として取り入れました。「紅茶は正しくいれること」 「食べ物の種類は多く、しかも豪華であること」「テーブルセッティングは身分にふさわしく優雅であること」といった作法が確立され、紅茶は広く一般へと浸透していったのです。

 今日、伝統的な英国式のアフタヌーン・ティーは世界中で再び流行しています。忙しい一日の午後の優雅なリラックス方法として、家族や友人を集めた心豊かなコミュニケーション・スタイルとして、日本でもその精神への共感が深まっています。

英国紅茶の年譜

1516 ポルトガル人がマカオで初めて茶を知る

1610 オランダ東インド会社が、中国茶を初めてヨーロッパに紹介する

1650 ロンドンにコーヒー ハウスが出現

1657 T.ギャラウェイが自分のコーヒー ハウスで茶を売る

1660 王政復古 チャールズII世即位

1662 キャサリンが英王妃となり、宮中と貴族に茶の風習を広める

1688 メアリーII世即位(ウィリアムIII世との共同統治)

1702 アン女王即位、茶の広まり

1706 トーマス・トワイニングがロンドンでコーヒー ハウス「トムの店」を開店

1714 ジョージI世の治世(-1727) イギリスの家庭に茶が出回り始める

1717 トーマスが初めてのお茶の専門店「ゴールデン ライオン」を開店          ※今日も同じ場所(ストランド216)にトワイニング ショップがある

1773 アメリカが茶の重税に抗議し、ボストン ティー パーティ事件勃発

1776 アメリカ独立宣言          ※アメリカの紅茶消費が閉ざされた反動で、イギリス国内の消費発展

1784 トワイニング家4代目リチャードの貢献で茶の関税引下げ

1837 ビクトリア女王即位 トワイニング紅茶等に最初の王室ご用達勅許

1839 アッサム会社(インド) 設立 本格的茶生産と輸出の開始

1840代  ベッドフォード公爵夫人アンナ・マリアによるアフタヌーン ティーの始まり

1843-69 ティー クリッパー黄金時代(高速帆船による茶輸入のスピード競争)

19c後半  ビクトリア王朝全盛期          ※ビクトリアン ティーのルール           1.ティーは正しくいれる           2.テーブル セッティングは優雅に           3.ティー フーズは豪華に

1861 「ビートン夫人の家政書」ゴールデン ルールの提唱

          1.まず大切なのは水をしっかり沸騰させること。           ビートン夫人は水に関しては特に強調していて、沸騰したお湯を使うことが           茶葉を開かせ、おいしいお茶を浸出する上で重要だと説明しています。

          2.使う茶葉の量については一人に付きティースプーン1杯とさらにポットに           もう1杯加える。

          3.沸騰したお湯をティーポットに入れ、温める。

          2~3分そのままにして、ポットが心から温まったら、湯を捨てる。

          4.ポットに必要量の茶葉を入れ、沸騰したお湯を入れ浸出。

         (浸出時間はビートン夫人の時代では茶葉によって5~10分。)

英国紅茶の歴史はトワイニングの歴史

トワイニング社の創始者トーマスは、1706年に独立してロンドンのストランドにコーヒー ハウス「トムの店」を出しました。当時はコーヒーが隆盛を究めていたものの、お茶も女性を中心に人気が高まっており、やがてトーマスはお茶を事業のメインに据え、1717年にはお茶の専門店「ゴールデン ライオン」を開くに至りました。

 以来トワイニング家は、上流階級や王侯貴族のひいきを得て家業を発展させると共に、銀行経営や公職についたり、1784年には4代当主リチャードが茶の減税に貢献するなど、英国紅茶の筆頭格として輝かしい歴史を刻んできたのです。  1837年ビクトリア女王即位の時には、いち早く王室ご用達の栄に浴しました。今日ではエリザベス女王、チャールズ皇太子御二方のご用達を賜っており、これは茶、コーヒー業者としては他に例がありません。  また「ゴールデン ライオン」発祥の同住所で 300年を迎えた今もトワイニングの店が盛業を続けているのは、驚くべきレコードといえます。

英国人の一日のティー

 イギリスといえば紅茶。紅茶がなくては夜も明けない、日も暮れないというのは決して誇張ではありません。

アーリー モーニング ティー

朝の目覚めの紅茶。ベッド ティーとも呼ばれ、昔は執事に運ばせましたが、家によってはその家のご主人がベッドの奥さんに運ぶ習慣が出来ていきました。

おすすめブレンド:香り高く爽快な渋味のダージリンで目覚めの一杯を

ブレックファスト ティー

朝食の時の紅茶。英国の朝食(イングリッシュ・ブレックファスト)のボリュームの豊かさは有名で、紅茶も大きなカップでたっぷり飲まれています。

おすすめブレンド:濃いめにいれたセイロン オレンジ ペコにミルクをたっぷり加えて

モーニング ティー ブレイク(イレブンジズ)

午前11時頃に、仕事に一区切りをいれて小休止します。リフレッシュするための紅茶。

おすすめブレンド:オレンジとレモンが香るレディ グレイで気分転換を

ミッデイ ティー ブレイク

午後のおやつにあたる紅茶です。職場や家庭で、簡単なクッキー等とともに楽しみます。 家に知人を招いたりしますが、アフタヌーン ティーほど気を張らないスタイルです。

おすすめブレンド:アール グレイにミルクを加えて

アフタヌーン ティー

女主人が家に知人を招いて開く午後のお茶会。 サンドイッチ、スコーンやお菓子を用意し、優雅に華やかに開催されます。 ふつう「ティー パーティ」とはこのアフタヌーン ティーのことを言います。

おすすめブレンド:何種類かのブレンドを用意してお楽しみください

ハイ ティー

農村部や工業地帯あるいはスコットランドに伝わる習慣です。午後6時ごろ仕事を終えた大人たちが子供と一緒にとる、ミート類献立と紅茶の付いた夕食です。

おすすめブレンド:セイロン オレンジ ペコを軽めにいれてストレートで

アフター ディナー ティー

夕食後、就寝前に、大人がくつろぐ時間に飲む紅茶です。薄めにいれたり、ハーブやお酒を混ぜたりして楽しみます。

おすすめブレンド:プリンス オブ ウェールズの香りをお楽しみください


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