年末年始はそれぞれの家に流儀があるかと思います。 「年越しそば」「除夜の鐘」「初詣」「お屠蘇」「お雑煮」「着物」「書初め」「お年玉」「正月遊び」などなど。
大晦日にそばを食べる習慣は江戸時代中期には定着していたとか。由来は様々ですが、麺類の中でも切れやすいので一年間の苦労を断ち切り、翌年に持ち越さないためという説があります。
12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯。寺院の梵鐘を、人の煩悩の数と考えられる108つ撞きます。 人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心のはたらきである煩悩を救う仏教の考えがあります。
お正月に初めて神社やお寺、寺院に参詣し、その一年の幸せを祈願することを初詣は、初参り=はつまいりとも言われます。初詣の時期は、諸説あります。主なものは以下の通り。(1)元旦(1/1)の参詣(2)三が日(1/1〜1/3)の参詣(3)松の内(1/7まで)の参詣時代の流れやライフスタイルの変化とともに(3)になりつつあります。大勢の人出が予想されるため、元旦を避けて別の日にという参拝者が増えてきたからかもしれませんね。
お屠蘇は、前年の邪気を祓い長寿を願うためのもの。
お雑煮も、新年の歳神様を迎えるためにお供えした餅をおさがりとして元旦にいただき、一年間の無病息災を祈るもの。
毎年同じ時期に同じものをいただくことができる。「平穏無事の子孫繁栄」を継承していく願いがお正月には込められているのではないでしょうか。
元旦の朝、その年に初めて井戸からくんだ水で墨をすり、恵方に向かって文字や詩歌、四字熟語を書いて神棚や神前に納めたり、恵方の方角に貼ったりします。書き初めは、今年一年の抱負や意気込みを書き、文字がきれいに書けるようになる事も願います。
のちの1月11日に行われるどんど焼きで燃やし、炎が高く燃え上がることで書き初めに書いた抱負が叶い、書道が上達するといわれています。
新しい年を迎えると、歳をひとつ重ねます。歳神様(としがみさま)にお供えものをして、新しい一年の無病息災を祈り、お供物として供えられたお餅を、御歳神様の賜わりものとして分け合って食べるようになったことがお年玉の始まりです。 現在のようにお年玉として現金を渡すようになったのは、商家でお正月に使用人におこづかいを渡したことが始まりという説あります。
お正月遊びは、厄除けや運気向上、健やかな成長や、知恵を授かることを願う伝統遊戯です。
羽根つき、凧あげ、けん玉、独楽回し、じゃんけん、福笑い、双六、百人一首、めんこ、お手玉、だるま落とし。 思い出のお正月遊び。 金沢の祖父母のもとへ親戚一同が集い、「旗源平」をしました。 源氏と平家にチームを分け、それぞれ小旗10本、中旗5本、大旗1本を持ち、順番に2個のさいころを振って旗を取り合います。 さいころの目には、すべて呼び名があり、振る度にこれを言ってはやし立てます。 例えば1と1なら「チンチンカモカモ」と言い小旗2本を取ることができます。1と2なら「チンニ1本」。1と3は「チンサン1本」。1と4は「チンシ1本」。そして最高の組み合わせ1と5は「ウメガイチ」と言って中旗1本を取ることができます。 2と2なら「ニャアニャア」と言い、小旗2本。3と3は「サザナミ2本」。4と4は「シュウジュ2本」。5と5は「ゴンゴ2本」。6と6は「ジュウロク2本」。1と6も「チンロク2本」です。 2と3なら「ニサマノカンカンド」、3と4は「シサマノカンカンド」で何もとれません。5と4は「ゴッシリハナカミ」でなにもなし。5と3も「ゴサマノカンカンド」でなし。5と2は「ゴニゴニ」でなにもとれません。 一番出したくない組は2と4で「シノニ」と言い、中旗1本を返さなくてはいけません。 最終的には、大旗である纏(まとい)を取ったチームの勝ちとなります。 長丁場戦は、大旗の纏を取った後に「ウメガイチ(1と5)」や 「チンロク(1と6)」を出して決着を決めます。